いやはや最近、世田谷の地理、歴史に軽くはまっている私ですが、
昨日もチャリで稽古場に向かうと・・。
希望が丘団地横に以前流れていた「烏山川」からスタ−ト。
緑道や一般道にまぎれて迷い迷いでしたが、チャリを走らせてみると、
家からほんの2、3分の所に小さな公園、そして柵に囲まれた池を発見。
「ははあ−ん、この池も昔この辺りが湿地帯だった名残だなぁ〜」と推測。
そしてオラが驚いたのは。
策越しに池を除き見ると、
な、な、なんと「白鷺」がいるではないか!
「白鷺」は特に珍しくもないが、まさかこんな住宅街の中で発見するなんて!でしょ?直ぐ目の前には団地が聳え立ち環八が通り、車の往来が激しい道の脇の水溜りの様な池に「白鷺」ですかぁ!ですよ!と軽い驚きと感激。
鷺の生息場所には、川や水田などが上げられるが、
この鷺の存在は、この場所に以前、川や多くの水田があったと思わせる出会いであって、いまだにこの場所に飛来する、鷺が愛おしくも感じるが、不憫にも感じる。
なぜね、緑道などという姑息な手を使わず、川を綺麗に生まれ変わらせて(この地に昔から住む友人に聞いたところ北沢川も烏山川も既に生活排水で汚染されていたみたい)保存しなかったのかと、日本の道路を作る団体さんに物申したい!
「世田谷では鷺はよく見かけるの?」か「見かけた人はいるのか?」
が気になり、「世田谷に鷺」で検索してみると、これまた、
な、な、なんと
「世田谷の鷺草伝説」なるコラムを発見。そのコラムの一部コピ−
「室町末期の戦国時代、世田谷城の吉良氏が敵軍に包囲され、支城の奥沢城(いま九品仏の浄真寺付近)に救助を求めた。その使いにたったのが、かねて奥沢城主から贈られて世田谷城内に飼われていた白鷺だった。しかし、援兵を求める手紙を足に結んだ白鷺は美しい姿が目立ったため、奥沢城を目前にしながら敵兵の矢に射落とされた。そのあと鷺の落ちた湿原に可憐な鷺草が咲くようになった、と・・」
あくまでも伝説でしょうが、
今じゃその「鷺草」が世田谷区選定の花になっているらしい。
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鷺発見場所はこちらになっております。
http://www.panoramio.com/photo/8002086