■次に第35軍を調べる。
1944年(昭和19年)8月4日に編成され第14方面軍隷下におかれた。フィリピンのミンダナオ島およびビサヤ諸島防衛を任務とし、当初は長期持久を作戦の目的としていた。1944年(昭和19年)10月20日のアメリカ軍のレイテ島上陸と、それをうけての大本営によるレイテ決戦の決定にともないレイテ島の戦いを担任することとなった。制空権、制海権を失い補給が途絶する中でその大部を失い、同年12月18日に大本営はレイテ島を放棄した。12月22日には第14方面軍より自戦自活を命ぜられた。これにより第35軍は、レイテ島、ミンダナオ島、ビサヤ諸島などの各地で長期持久作戦に移行し、アメリカ軍への抵抗を続けた。それはまた物資の欠乏による飢餓との戦いをも意味した。
上の資料から推測すると。
昭和15年10月、私の父親の誕生日。
その翌年の16年。小松爺さんに赤紙が来たのか?
小松爺さんは1歳にもならない私の父親と祖母を残し軍人として、日本海を渡り、「羅南」今の北朝鮮に向かったらしい。
「羅南区域(ラナムくいき)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道清津市に属する区域。日本統治時代には第19師団が置かれ、軍都として知られた。軍事・行政の中心地であったため日本人居留者も多かった」
アルバムの写真はたぶん、この「羅南」で訓練を受けていた2年間弱の様子だと思われる。
地図で調べると海沿いの町。アルバムにも泳いでいる写真があるし「朝鮮女」と見出しが書かれた、写真があるのもうなずける。
数枚、笑顔で写っている方もいて、緊迫感が感じない写真もある。
和服姿の女性の写真もあるし、余興だろうか?ぬいぐるみ的なものを着て仮装している写真もある。この2年の生活は、小松爺さんにとってはまだ平和だったと思われる。
しかし師団が南方はフィリピンに移動。
昭和19年から昭和20年の終戦まで、もっとも過酷な激戦地区で戦っていた。
レイテ島の戦い・ミンダナオの戦い。
小松爺さんが所属していた「歩兵第74連隊」はミンダナオに配置され、レイテ島の戦い、ミンダナオの戦いに参戦したらしい。
ミンダナオの戦い1945年3月10日―8月15日終戦
小松爺さんの最後の戦い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%8A%E3%82%AA%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
日本軍
戦死・戦病死25,000超
戦傷7,000
アメリカ軍・ゲリラ
戦死820
戦傷2,880
この数字を見ただけでも、どれだけ過酷だったか・・・。
「ミンダナオ島中央部から北岸にかけては、日本側は第30師団が担当していた。第30師団は、迎撃部隊として歩兵第74連隊の2個大隊と工兵第30連隊などを南下させ、そのうち歩兵第74連隊第1大隊は、4月27日夜にカバカン付近でアメリカ軍第124歩兵連隊及び砲兵1個大隊と激しい遭遇戦を行った。日本軍が橋などを徹底的に破壊したため、アメリカ軍は重火器を迅速に前進させることができず、各地で歩兵同士の近接戦闘が発生した。特にマラマグ周辺では、5月7日に日本軍歩兵第74連隊第3大隊が森林を生かした待ち伏せ攻撃をかけて、112名を失いながらも、アメリカ軍にも戦死60名、負傷120名の損害を与えた[13]。その後も5月15日まで攻防が続き、アメリカ軍第124歩兵連隊だけで69人が戦死し、177人が負傷する損害を受けた」
南北からの挟撃を受けた日本軍第30師団主力は、6月2日に東部のアグサン方面への転進を決断し、持久戦を図った。8月1日にアグサン川流域のワロエに到達したが、移動途中で多数の餓死者・病死者を生じた。しかも、ワロエ付近には、6月24日にアグサン川河口に上陸南下していた第155歩兵連隊の1個大隊が居り、ここでも日本軍は攻撃を受けることとなった。
第30師団はワロエからさらに南東に進んだジョンソンで終戦を迎えた。
第30師団全体での損害は終戦までに戦死2500人、病死2100人、不明5600人に達した。生存者は約3000人であった。
この3000人の中に小松爺さんが含まれているのだが、
昭和20年。爺さんは引き上げ船の中、もしくは当時、引き上げ港に指定されていた舞鶴で、酒を呑んで亡くなったとの事。
一度だけ家族で小松爺さんのお墓を探しに行った事がある。
父親の記憶をたどりやっと見つけた墓は、山際の日も差さないような場所にあった。
長い棒が一本、土に刺さったというか、倒れかけていた、質素な墓だった。
家族で倒れないように周りを土で埋めて真っすぐにした。
棒(墓)の横に消えかけた文字を見つけた。
「5歳 繁」と書かれていた。父親の名前だった。
たぶん当時「喪主」になっていたんだと思う。
先日、番組でフィリピンで戦争体験した方々のインタビュ―を見たばかりだった。
この方達のように、俺の爺さんも、戦っていた・・・。
今度、盆に帰る時には、小松爺さんの墓に行きたい。
右が小松爺ちゃん。
妻の「美明よりこ」が唱歌、叙情歌を歌います。
大正、昭和初期にかけての素晴らしい音楽が、
ヴァイオリン、ピアノの音色とともに、美明の癒しの声を通して蘇ります。
是非、お越しください。
個人的にも妻の音楽会は凄く楽しみにしていたイベントでして、♪
本当はこのまま裏方に徹して応援するはずだったのですが・・・・・・。
音楽会の後に、芝居をする事になりました。
吉村流の舞の雄之輔先生に演出をつけてもらります。
イエ・ドロ落語ではおなじみの、ゆうさんですが、今回はストレ―トプレイ、新劇なので行なわれる作品。
(最近、映画化にもなってましたが。)
ゆうさんは、舞だけではなく、歌舞伎、能は勿論、小劇場、映画にも精通してらして、
演出をつけて頂けるのを楽しみにしておるところです。
相手役は長年、イエ・ドロを支えてくれています、わかばやしめぐみ。
この間のおぼんろ公演の後、空間ア―トひかりの参加の忙しい合間をぬって参加してくれます。
妻の音楽会に華が添えられるよう、心して演じさせて頂きます。
「Felice vol.2 冬の音楽会〜美しく明るく〜」
♪Felice
歌い手・美明 よりこ
ヴァイオリン・辻 祥子
ピアノ・松田 真理子
■芝居 「紙風船」
作・岸田 國士 演出・吉村 雄之輔
出演・わかばやしめぐみ 佐東 諒一
【日時】20011年12月24日(土)
★第1部
開場/11時30分
Felice・開演/12時
〜休憩〜
芝居「紙風船」・開演/13時15分〜13時45分
※15時までお店でおくつろぎいただけます。ご自由にお食事やお飲物などをお楽しみ下さい。
★第2部
開場/18時30分
Felice・開演/19時30分
〜休憩〜
芝居「紙風船」・開演/20時45分〜21時15分
【会場】
アンティークスタジオみのる
http://antique-studio-minoru.com/top
【料金】 2500円 (自由席)
]]>おぼんろ第8回本公演『狼少年ニ星屑ヲ』昨年10月、渋谷の地下室、八坪の空間で二日間連続で公演されたあの物語が帰ってきます!身もだえするほど切なく、震えるほど美しい、ハロウィンの風物詩。どんな大金持ちの商業演劇にも負けない、みなさまに無限の世界観をご用意してお待ちしております。キンキラキンのラブをあなたに。【日時】★はアフタートーク開催!
全16ステ―ジ
10月19日(水)19:30開場/20:00開演
10月20日(木)19:30開場/20:00開演
10月21日(金)19:30開場/20:00開演
10月22日(土)13:30開場/14:00開演19:30開場/20:00開演
10月23日(日)12:30開場/13:00開演17:30開場/18:00開演★
10月24日(月)19:30開場/20:00開演★
10月25日(火)19:30開場/20:00開演10月26日(水) 休演日10月27日(木)19:30開場/20:00開演★
10月28日(金)19:30開場/20:00開演★
10月29日(土)13:30開場/14:00開演19:30開場/20:00開演
10月30日(日)12:30開場/13:00開演17:30開場/18:00開演★
10月31日(月)18:30開場/19:00開演【料金】〇貧乏な人 2000円(堂々と貧乏!って言って下さい♪)〇普通の人 3500円〇お金持ち 時価〇リピーター 言い値(お友達を連れて来て頂けたらご本人様無料の可能性大)【場所】絵空箱(新宿区山吹町361誠志堂ビル1階)有楽町線江戸川橋駅より徒歩2分東西線神楽坂駅より徒歩9分【予約】
サヒガシ用■応援コメント■みなさまからの応援コメントをいただきました!藤井隆さん―タレント―川中美幸さん―演歌歌手―大槻水澄さん―ヴォーカリスト―島中文雄さん―ギャラリールデコ―その他、我々おぼんろの思いがたくさんつまった特設サイトを開設いたしました。よろしければご覧ください。特設サイト⇒おぼんろHP⇒
川中美幸プロデュース
Barまいどおおきに×おぼんろ演劇公演
『Black Shooting Star』
〜身の毛もよだつ悪趣味show
二度と来たくなくなる、最悪のBar〜
脚本・演出 末原拓馬
出演 佐東諒一・高橋倫平・藤井としもり
わかばやしめぐみ・末原拓馬
ご予約はこちら⇒★予約サイト★
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