「対話」の中での「会話のリズム」
日常の中にいっぱい転がってる。
テンポ=リズム
日々影響されている。
波の音。
風のスピード。
歩く速度。
食べるはやさ。
雨音。
電車のリズム。
それぞれの人がもっているテンポ。
スクランブル交差点の人の波を避けるリズム。
換気扇の音を
切ったときの静けさ。
切った時は「静けさを感じる」が、それが続くと静けさはさほど感じなくなる。
何かに没頭している時、何も気にならない時がある。
何か(演じてること)に「没頭」している役者の気持ち。
「没頭」しているシ―ンでは無いのに「没頭」している。
「没頭」するのをやめてみる。
「集中力」が無く見えるかも・・・。
逆にいろいろなものに「集中」出来るのかも・・・。
「没頭」と「集中」は質が違う。
日常の中で無意識に「集中」している時がある。
電車の中刷りを読んでる私。
寝る事に集中する私。
隣の会話が気になる私。
窓の景色が気になる私。
電車に揺られて、他人にぶつからないように集中する私。
電車の中で「ボー」として集中している。
人は無意識に「集中」している。
これを「没頭」しているともいう・・。
でも「集中」と「没頭」では質が違うと思う。
今日、スゴイ事をした。
駅の改札。切符を入れる場所に、お金を入れてしまった。
硬貨を一枚入れた。確か・・それすら定かではない。なぜなら二枚目の百円硬貨が上手く入らずに、てこずった瞬間気付いた。
お金を入れて、改札から駅の中に入ろうとしていた。
勿論、「他の事を考えて」こうなってしまったのだが・・。
■要因
ここ一ヶ月、定期券で改札を出入りしてた。
途中「切符を買うために小銭を財布から取り出した」
ここから「別思考」
芝居のことなどを考えたりした・・・。
で、そのまま定期券、切符を入れる箇所に、お金を入れた。
その後の俺の行動。
あまりに自分の行動に呆れてしまい、駅員さん、周りの人等に、気付かれていないのを即座にキャッチ。
その場から少し離れる。
機会から「ピコン、ピコン」と音が出る。
俺が入れたお金が原因かと少し不安になるが、それよりの自分行動の可笑しさが増し、あまり罪悪感、同様なく、切符を買い、
何事もなく改札からホ―ムへ。テレビカメラが付いていないかと少し気にした。後ろでは「ピコン。ピコン」と音がなっている。
話しを変えます。
日常さまざまな「もの」に影響されて生きている私。
それは意識的な時もあり、無意識的に影響されたりもしている。
演技の場合、どれが「意識的に影響されてる箇所」なのか、どれが「無意識的に影響されている箇所なのか」見極める目が必要。
普段の日常の中にヒントは沢山ある。
電車の中で会話が弾む。
会話のテンポ・速かったり、遅かったり、無意識的に自然とやっている。
それも複数の相手に強弱、間を微妙に計ってる。
「ふふふ」って「いい間」で笑ったりしている。
ふとした時の「間」
突然会話に穴が空く。
ある状況を思い浮かべてみて・・。
その時、自分は何を思ってるのか。
その場から意識をづらすのか・・
何の話をしようか考えるのか・・・・。
「間」の中に何も思わないことは無い。
「ボー」としてた。
にも何かがある。
誰かが話し出す。自分が話し出す。
もしくは誰も話さないかも。
(この場合、会話が無いことの理由づけをしたりするかも・・皆疲れてるんだよね・・と自分を納得させてみたりする。)
会話のリズムが生まれる。
電車が到着しそうになる。気になる。仲間に降りる人がいる。
しかし会話は続けてる。
でも降りなくては。もしくは自分じゃない誰かが降りる。
会話を旨く締めくくるか、途切れてブツ切れで終るか・・。
自然(無意識)に「また明日!」もしくは「お疲れ様。」で終らせるのか。
電車の中に残された人達。
一度途切れた会話を繋げるのに「見送った人」の話をするのもいい。
それか「そういえばこの間さ。・・」と言って会話を立ち上げてもいい。
会話を立ち上げるのか・・立ち上げないのか・・・。
携帯を見て、「間」をつないでもいい。
もしくは後で打ってもいいメールを、さも重要な事のようにしてメールを打つかもしれない。会話が無くても相手が傷つかないように、さりげなく・・もしくはそれさえも無意識に、会話の無い状態を回避しているのかも・・・。
また話し少し変わって。
絶対音感も持ってる人は意識すれば全ての音がドレミで聞こえるらしい。
会話なんかもリズムに聞こえるんだろうな・・・。
日常の無意識な行動を舞台上で「意識して」「無意識」に魅せるのが演技。
きっかけは「日常」の中に全てある。
ただそれを鋭くするには観客の前で披露するには「方法論」が必要だ。
なざなら全てのものには「基礎」があるからね。
「基礎」が無いと「家」が建たないのと一緒だからね。
では演技の「基礎」ってなんですか?
「テニス」で例えれば
「スマッシュ」「バックハンド」「ボレ―」
「フォア―ハンド」「アプロ―チショット」「フットワ―ク」等などなど。
「テニス」という分野の中にもこれだけの種類に分類され、それぞれに「基礎」が必要となってくる。
そして試合ともなれば、次々と相手からの弾に応じて次々と返すわけだ。
「基礎」があってこそ、質の高い練習をしたからこそ、戦えるわけだよね。
芝居に置き換えれば・・・・。
間延びした「サッカ―」は観たくないのと一緒。
間延びした「芝居」は観たくない。