イエロ―・ドロップスのむふふな独り言

佐東諒一・サヒガシ リョウイチ(時にはJUNPEI とも呼ばれてる。)
日々失われていく記憶力を補う為、
支離滅裂な文章をリハビリがてら、ダラダラと書いてます。


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今年になって・・・
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     まったくと言っていいほど、ブログを書く意味というか、もう書かなくてもいいかなぁみたいな、
    気分になってたけど、書かないと、広告がトップぺ―ジに来るので、それも癪なのでとりあず書くか。

    20年あまり演劇に携わって来たが、これ程まで演劇を面白く感じない年もないなぁ。
    シラケ気分。心のどこかでは、グツグツしてる部分もあるのは確かだが、個人的にはシラケテる。
    演劇がおもろ―ない。おもろ―なんだろうけど、おもろ―ない、俺には。
    俺の心の問題なんだろうけど。
    刺激くれ!なんて他力的な発想もあったけど、そりゃダメだ。

    やはり原発が気になるな。兎に角、原発だ。
    ウソばかりでしゃろ〜。
    言葉ってだから怖い。
    国会の答弁ってほんと、子供の喧嘩みたいな所があって、あんな子供の喧嘩みたいな言い争いで、国が動いてるんだと思うと、恐ろしい。それも仕方がないとか諦めたり、見て見ぬふりしてきた自分も恐ろしい。

    2011年3月15日に、いわき市にヨウ素131が飛んでいたなんて、今頃、TVで流してる。
    家族に電話してみた。15日、あの日、あの時、何をしてたって。
    「マスクは付けさせてたけど、保育所に連れていったなぁ・・・・。」の返答。
    安定ヨウ素剤は送られてきたけど、いわき市長からの呑め!の合図はなかった。
    今だに安定ヨウ素剤を持っているらしいが、なんの為に送られてきたのか。

    噂じゃ12日に爆発があったおかげで、救出もされず餓死の方もいたらしいじゃないか。それを全て溺死にしったって。嘘がまかり通る。誰もそれ間違ってるよ!って言わないと、好きなようにやられちゃうよ。
    自殺した方もいるよ。忘れないようにしよう。忘れちゃダメだ。

    日本の国土に人が住めない場所が出来た。
    これは本当に大変な事なんだけど、本当に大変と思っている人は、その土地を奪い取られた人にしか本当に大変なんだと認識出来きないのではなかろうか。
    想像力の欠如、想像出来ない。から?????

    自分が被害者じゃなけりゃまぁラッキ―。同情はするけど何もしてやれないから凹むからもう諦めた。とりあえず様子を伺うしかない。見て見ぬふりをする、何も出来ないし。怖いから原発の事は何も考えたくない。日常が大変でそれどころじゃない。国に任せる。自分にやれる事をするしかない。
    自分にはこれしかないんで、これで勇気を持って頂けたら。

    子供達が元気なのが救い!とか子供たちは明るい♪
    なんて二ュ―スで聞く度に複雑な気持ちになる。

    団結ってないのか?ないか?無理か?人生面白くないか?とりあえずゲ―ムするか、呑みに行くか?日本から離れるか?働くか?

    振り返ってみたら。1月・2月・3月っていわきに帰省してた。
    今まで年に1回帰るか帰らないかの俺が。

    あと数百メ―トルで福島第一原発から20キロ圏内って所に行ったけど、車の往来が多くて驚いた。
    有名企業のロゴが入った大型バスに乗り込んだ完全防備の人達。警察官。機動隊。交通整理のお兄さん。彼らなんて都内で交通整理してる様な姿で働いてたけど、マスクしなくて大丈夫?って心配になったよ。民宿みたいな所から、マイクロバスに続々乗り込む姿も目にした。どこから連れてこられた人達だろう?オバサンやおじさん、数名若者もいたなぁ。立ち入り禁止の中へ20キロ圏内に向かって行ったよ。そこは最前線だった。


    シラケないように。シラケないように。シラケないように。


    今の楽しみは奥さんの音楽会。成功して欲しい。
    いわきにも帰りたい。海外にもそろそろ行かなくちゃ。
    表現もしよう。
    子供も☆〜い。
    結婚式を挙げるんだ。









    | さひがし りょういち | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
    ラン丸の夢を見た
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       ラン丸の夢を見た。
       
      どうやらラン丸は私の都合で動物園の様なペットショップに預けられているらしい。
      何年かぶりに会いに来た私は、その動物園の様なペットショップの中を必死になって探す。
      園内の隅々を捜し回ったがラン丸はいなかった。

      係りの方に声をかける。
      「五年前、ここにラン丸という猫を預けたが何処にもいません。
      老猫だったから、違う場所に移されているのでしょうか?」
      係りの方はパソコンの前に座ると検索を始めた。
      「残念ながら、ラン丸という猫は登録されていません。
      お客様は、五年以上放置されていますので、
      登録は抹消、どなたかに引き取られたかと思われます。」
      「そんなバカな。」
      食い下がるが「契約書に書かれています。」と返された。
       
      途方にくれていると目が覚めた。
       
      しかしそれは実際に目が覚めたのか、夢の中で目が覚めた状況なのか、よくわからなかった。
      夢なのか、現実なのかワカラナイ感覚の中で、
      会えないことを悔やみラン丸に申し訳ないと感じていた。
      が、思い出した。
      ラン丸は二年前に私の目の前で老衰で死んだのだった。
      猫としては長生きな23年の人生、いや猫生だった。

      はっきりと目が覚めた私は、ラン丸を思い出し泣いた。
      切なくてなのか、哀しくてなのか、よくわからない気持ちだったが泣いた。
      成仏出来てないのか?とも思った。
      ただ会いに来てくれただけなのか?とも思った。

      忘れないように、iPhoneの明かりの中で、先ほど見た夢の内容を書こうとした。
      妻がどうしたの?と寝ぼけまなこながら心配そうに声をかけてくれる。
      「今、ラン丸の夢を見たんだ。忘れない内に書こうと思って。」

      ラン丸の夢を見た。
      どうやらラン丸は私の都合で、、、、。

      「只今の時間、午前6時丁度を、お知らせ致します。」
      | さひがし りょういち | 09:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
      小松爺さんの昭和16年―昭和20年終戦までの過ごし方。
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        帰省した際に、父親が古いアルバムを出して来た。
        それは俺が小学生の時、一度だけこっそり、祖父のタンスの中で見つけた戦時中のアルバムだった。あの当時はそれがギスケ爺さんが体験した戦時中のアルバムだったと思っていた。

        写真には大佐だの少佐だの勲章をつけた偉い方のような写真、戦車の写真、女性がピストルを構えている写真、フンドシ姿で泳いでいる若者の姿など、沢山の写真があった。
        ドキドキしながら写真を見たのを覚えている。
        ギスケ爺さんは満州に行っていたとも確かその時は聞いていた。

        そして30年ぶりにそのアルバムを目にしたわけだが、驚いた事に、このアルバムは、
        ギスケ爺さんのアルバムではなく、父親の実の父(ギスケ爺さん祖母の再婚相手だった。)

        ようするに俺と血の繋がっている、小松爺さんのアルバムだという事を知った。
        このアルバムの中に2枚だけ、小松爺さん(と呼ぶには若くして亡くなってるわけだが)の写真があった。
        松爺さん。この人なんだと思うと、どうにか自分と似ている所を探してしまう。

        アルバムの中に小松爺さんの弟さんの写真もあった。
        この方は俺が20歳の頃に亡くなったのだが、この時は「勿来のおじさん」と呼んでいて、親しくさせて頂いたが小松爺さんの弟さんとは知らされてなかった。
        何せ、ギスケ爺さんが父親と血のつながらない関係だと知ったのは俺が24、5歳の頃、ギスケ爺さんの葬式の日だったからね。

        で、改めてアルバムを検証。
        アルバムの見出しに歩兵第七十四聯隊と書いてある。
        小松爺さんが配属された部隊の名称。
        写真の中には見出しが「朝鮮女」と書かれた女性の写真もある。
        戦争に行った先は、満州とあの当時聞かされていたが、違うのかもと思い

        ■「歩兵第74連隊」
        をネットに打ち込んでみる。

        1943年(昭和18年)5月 - 第19師団から第30師団に所属変更
        1944年(昭和19年) - フィリピンミンダナオ島へ移動
        1
        945年(昭和20年)8月 - 終戦」

        ■次に第19師団を調べてみる。

        1941年(昭和16年)7月、動員下令となるが直ぐには戦地へ行かず、
        羅南にて訓練を行っていた。なお、1943年(昭和18年)5月、師団隷下の歩兵第74連隊が新設の第30師団隷下に移る。
        1944年(昭和19年)12月から師団は第14方面軍隷下に移りフィリピンルソン島に渡りアメリカ軍と交戦する。山岳地帯で持久戦を行っている最中終戦を迎える。

        ■次に第30師団を調べる。

        1943年5月に新設された。1944年8月、南方に転用され第35軍に編入。フィリピンミンダナオ島守備を担当した。レイテ島の戦いに投入され大きな損害を受け、さらにミンダナオ島の戦いでの過酷な持久作戦を遂行し終戦を迎えた。

        ■次に第35軍を調べる。

        1944年(昭和19年)8月4日に編成され第14方面軍隷下におかれた。フィリピンミンダナオ島およびビサヤ諸島防衛を任務とし、当初は長期持久を作戦の目的としていた。1944年(昭和19年)10月20日のアメリカ軍レイテ島上陸と、それをうけての大本営によるレイテ決戦の決定にともないレイテ島の戦いを担任することとなった。制空権制海権を失い補給が途絶する中でその大部を失い、同年12月18日に大本営はレイテ島を放棄した。12月22日には第14方面軍より自戦自活を命ぜられた。これにより第35軍は、レイテ島、ミンダナオ島、ビサヤ諸島などの各地で長期持久作戦に移行し、アメリカ軍への抵抗を続けた。それはまた物資の欠乏による飢餓との戦いをも意味した。

        上の資料から推測すると。

        昭和15年10月、私の父親の誕生日。
        その翌年の16年。小松爺さんに赤紙が来たのか?
        小松爺さんは1歳にもならない私の父親と祖母を残し軍人として、日本海を渡り、「羅南」今の北朝鮮に向かったらしい。

        「羅南区域
        (ラナムくいき)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道清津市に属する区域。日本統治時代には第19師団が置かれ、軍都として知られた。軍事・行政の中心地であったため日本人居留者も多かった」

        アルバムの写真はたぶん、この「羅南」で訓練を受けていた2年間弱の様子だと思われる。
        地図で調べると海沿いの町。アルバムにも泳いでいる写真があるし「朝鮮女」と見出しが書かれた、写真があるのもうなずける。
        数枚、笑顔で写っている方もいて、緊迫感が感じない写真もある。

        和服姿の女性の写真もあるし、余興だろうか?ぬいぐるみ的なものを着て仮装している写真もある。この2年の生活は、小松爺さんにとってはまだ平和だったと思われる。

        しかし
        師団が南方はフィリピンに移動。

        昭和19年から昭和20年の終戦まで、もっとも過酷な激戦地区で戦っていた。
        レイテ島の戦い・ミンダナオの戦い。
        小松爺さんが所属していた
        「歩兵第74連隊」はミンダナオに配置され、レイテ島の戦い、ミンダナオの戦いに参戦したらしい。

        ミンダナオの戦い1945年3月10日―8月15日終戦
        小松爺さんの最後の戦い。
        http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%8A%E3%82%AA%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

        日本軍
        戦死・戦病死25,000超
        戦傷7,000
        アメリカ軍・ゲリラ
        戦死820
        戦傷2,880

        この数字を見ただけでも、どれだけ過酷だったか・・・。

        「ミンダナオ島中央部から北岸にかけては、日本側は第30師団が担当していた。第30師団は、迎撃部隊として歩兵第74連隊の2個大隊と工兵第30連隊などを南下させ、そのうち歩兵第74連隊第1大隊は、4月27日夜にカバカン付近でアメリカ軍第124歩兵連隊及び砲兵1個大隊と激しい遭遇戦を行った。日本軍が橋などを徹底的に破壊したため、アメリカ軍は重火器を迅速に前進させることができず、各地で歩兵同士の近接戦闘が発生した。特にマラマグ周辺では、5月7日に日本軍歩兵第74連隊第3大隊が森林を生かした待ち伏せ攻撃をかけて、112名を失いながらも、アメリカ軍にも戦死60名、負傷120名の損害を与えた[13]。その後も5月15日まで攻防が続き、アメリカ軍第124歩兵連隊だけで69人が戦死し、177人が負傷する損害を受けた」

        南北からの挟撃を受けた日本軍第30師団主力は、6月2日に東部のアグサン方面への転進を決断し、持久戦を図った。8月1日にアグサン川流域のワロエに到達したが、移動途中で多数の餓死者・病死者を生じた。しかも、ワロエ付近には、6月24日にアグサン川河口に上陸南下していた第155歩兵連隊の1個大隊が居り、ここでも日本軍は攻撃を受けることとなった。

        第30師団はワロエからさらに南東に進んだジョンソンで終戦を迎えた。
        第30師団全体での損害は終戦までに
        戦死2500人、病死2100人、不明5600人に達した。生存者は約3000人であった。

        この3000人の中に小松爺さんが含まれているのだが、
        昭和20年。爺さんは引き上げ船の中、もしくは当時、引き上げ港に指定されていた舞鶴で、酒を呑んで亡くなったとの事。


        一度だけ家族で小松爺さんのお墓を探しに行った事がある。
        父親の記憶をたどりやっと見つけた墓は、山際の日も差さないような場所にあった。
        長い棒が一本、土に刺さったというか、倒れかけていた、質素な墓だった。
        家族で倒れないように周りを土で埋めて真っすぐにした。

        棒(墓)の横に消えかけた文字を見つけた。
        「5歳 繁」と書かれていた。父親の名前だった。
        たぶん当時「喪主」になっていたんだと思う。

        先日、番組でフィリピンで戦争体験した方々のインタビュ―を見たばかりだった。
        この方達のように、俺の爺さんも、戦っていた・・・。

        今度、盆に帰る時には、小松爺さんの墓に行きたい。

        右が小松爺ちゃん。

        komatu





















        | さひがし りょういち | 02:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
        みのるカフェ。告知。
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          「Felice vol.2  冬の音楽会〜美しく明るく〜」 ♪Felice 歌い手・美明 よりこ ヴァイオリン・辻 祥子 ピアノ・松田 真理子 ■芝居 「紙風船」  作・岸田 國士 演出・吉村 雄之輔 出演・わかばやしめぐみ 佐東 諒一 【日時】20011年12月24日(土) ★第1部 開場/11時30分 Felice・開演/12時 〜休憩〜 芝居「紙風船」・開演/13時15分〜13時45分 ※15時までお店でおくつろぎいただけます。ご自由にお食事やお飲物などをお楽しみ下さい。 ★第2部 開場/18時30分 Felice・開演/19時30分 〜休憩〜 芝居「紙風船」・開演/20時45分〜21時15分 【会場】 アンティークスタジオみのる http://antique-studio-minoru.com/top 【料金】 2500円 (自由席)
          | さひがし りょういち | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
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